Inglourious Basterds

minii2009-11-27


 この記事を書くために原題を調べて驚愕した。嘘じゃない、腰が抜けるかと思ったよ。正式なタイトルなのに綴りが間違っているのだ。正しくは“Inglourious”ではなく“Inglorious”。uが入ってる時点で一瞬クイーンズ英語?と思ってしまうがそんな単語は存在しない。『地獄のバスターズ』の原題“The Inglorious Basterds”と区別するためなのか、或いはほとんどの登場人物が最低でも2ヶ国語を話す中で、ブラッド・ピット演じる英語しか喋れない主人公の言語的不自由を視覚化した?か、はたまたこの映画の「復讐劇」としての主人公ショシャナ一家が惨殺されたとき、彼らが英語を理解できなかったことを表しているのか・・・なんてタイトルだけでもこんなに考えてしまう。

 
 私がタランティーノ監督を好きじゃないことは以前書いた。ディテールに凝り過ぎていて、映画そのものが映画オタクのカルトクイズみたいだからだ。でも今回はどういうわけかそれらの要素が完全にプラスに作用して、台詞の一言ひとことが面白く、クレジットのフォントまでもが見逃せないと思えた。尺も長すぎるはずなのにちっとも長く感じなかったし、遠いところに張られた伏線も忘れられることなく効果を発揮しており、細部も全体もカッコ良くまとまってしまっているのである。もしかして、これまでの数々の作品は、この一作品のためのステップだったのか?パルプ・フィクションキル・ビルも伏線で、結末はここだったのか?だからこそ映画の最後、主人公にあの台詞を言わせたのではないだろうか。

 そんな風に考えてしまうと完全に私の負けだ。今まで散々文句を言ってきたくせに、ここで一気に黙らされてしまった。「タランティーノの最高傑作!」なんて当事者までもが軽く言っちゃってるけど、それは意外と真実かもしれない。まさに映画好きによる映画好きのための映画。なのにすこぶるポップで面白い。ブラピが最高だけど、彼が出てないシーンも緊張感と可笑しみが溢れててよかった。ダイアン・クリューガーも全然好きじゃないけど今回はよかった。つまりは、必見です。

This Is It

minii2009-11-13


マイケル・ジャクソン THIS IS IT』を観てきた。

 人の死で金儲けすんな!って信条もあるし、マイケルは完璧主義だからリハーサル映像を公開するのは本意じゃないっていうラトーヤの主張も分かるから観に行くまいと思っていたけど、観た人はみんな良かったって言うし、観ないとやっぱり後悔するかもしれないから行ってきた。東京ではまだ満席なのかな?こっちはガラガラで快適に観れますよー。

 この映画を観てますますマイケルの死が信じられない、まだどこかで生きてるんじゃないかと感じたファンも多いかと思う。たしかに、ここ数年のメディアによる取り上げられ方からは想像もつかないほどの「健在ぶり」で、高い声も綺麗に出ているしダンスだって誰よりも上手いし、周りを固める世界中から集められた若くて才能溢れるダンサーたちと見比べても、マイケルがダントツで一番整ったプロポーションをしていて、とても睡眠薬に体を蝕まれているようには見えないのだ。

 でも、だからこそ、私はこの映画を観て、マイケルが死んだことを確認してしまった。

 そんなつもりないのに冒頭からけっこう泣いてしまったのは、彼の姿が「今は亡き偉人」にしか見えなかったからだ。たとえばチャップリンの映画を観たときのような、ピカソのお茶目なポートレートを写真集の中に発見したときのような、身近な人を失くしたときとはまた違ったあのさみしさが、心の中に現れたのである。

 マイケルは人が好すぎて死んだんじゃないだろうか。ダメ出しするときも絶対怒らず相手を傷つけないよう配慮するし、また誰かが怒られているときはかばうし、I love youとかGod bless youって何度言ったか分からないぐらいことあるごとに言ってる。彼ほどの人ならもっとずっと傲慢だって誰も文句など言うはずがないのに。オスカー・ワイルドの『幸福の王子』みたいだなと思った。身を呈して人に尽くして、最後には心臓が壊れてしまう王子。

 ただ、マイケルは幸福の王子と違って、みすぼらしい姿になって心無い人に捨てられたりしなかった。近年はそれに近い扱いも受けてたかもしれないけれど、彼自身はまだまだ現役だったし輝いてたし、才能もセンスも想像力も誰より溢れてたのだ。ということが分かるという点でこの映画はとても意義深いと思う。パフォーマンスや演出そのものももちろん素晴らしいのだけど、それを考えてつくってる最中のマイケルの姿がすごく良かった。アレンジは基本的にレコードに忠実にしてたようだけど、“The way you make me feel”の「ベッドからはい出るような」スローな感じすごくかっこよかったし、逆にジャクソンファイヴ時代の曲をかなりアップテンポにしちゃってるのもアリだなあと思ったし。

 彼はこのコンサートで、今までの音楽人生のいいことも悪いことも受け入れて、全部整理してしまおうと思っていたのだろうか?その答えは知る由もないが、この公演が無事やり遂げられていたら、彼は過去を清算して自由(幼い頃からスターだった彼にとって、それはほとんど生まれて初めて手にするだろう自由)になれたのかもしれないなんて想像してしまう。だからとっても残念だし悲しい。 彼がみんなに優しかったのと同様に、彼のファン以外の人も彼をもっと敬うべきだった。彼はゴシップ・キングなんかじゃない、キング・オブ・ポップなのだから。死を悲しまれたところで何になろうか。

EL ESPIRITU DE LA COLMENA / EL SUR

minii2009-11-12


ビクトル・エリセ監督『ミツバチのささやき』『エル・スール』を観てきた@早稲田松竹

 火曜日に代休を取って観てきた。前夜に前頭部を血が出るほど強打したせいか、低気圧のせいか。厭な頭痛がしたがこの日を逃したらこれらの作品をスクリーンで観ることは一生できないかもしれないと思い、ようよう起きて出かけたのだ。

 この映画館に来たのは二度目で、前回はアキ・カウリスマキの3本立てだった。10年と少しぶりに『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』を観て、そしてジョー・ストラマーの歌う姿*1をスクリーンで観て、もう胸がいっぱいになった、いい思い出のある映画館だ。今回も平日の昼間だというのにほぼ満席で、中年やそれ以上の男性が多く、空き時間にはロビーや外に掲示してある当時のポスターやパンフレットを熱心に読んでいたのが印象的だった。メモを取っている若い子たちは、映画作家を志しているのか、卒論の題材にでもするのかと、勝手な想像を膨らませるのが楽しい。

 『ミツバチのささやき』も『エル・スール』も、語るのは難しい。スペイン内戦の残した傷跡と、大人になる前の純粋な少女の心のざわめきが織りなす独特の世界、とか言えばそれっぽいかもしれないが、「それっぽい」ぐらいの妥協の言葉で飾るぐらいなら、黙っているべきだ。そう思わせる力がどちらの作品からも溢れていた。美術館に行って有名な絵を観るところを想像してみよう。できるだけ有名で、できるだけ大きなものがいい。きっと多くの人が、美しさに圧倒され、すべての言葉を飲み込んでしまうに違いない。この二作品を観て、私はまさにそんな状態に陥ったのである。

 ハニカム構造の窓、逆光に隠れされた父親の顔、アナの「色気」とすら呼べそうな憂いを含んだ表情、夜の闇。朝の冷たい空気、振り子、お嫁さんみたいな格好で父と踊るダンス、二杯目のコニャック、草と猟銃・・・それらすべての情景は、きっと死ぬまで私の心の中から消えない。どちらも極めて静かな映画だが、普段とは違う意味でとびきりパンチが強い。

*1:コントラクト・キラー』

Drag Me To Hell

minii2009-11-10


サム・ライミ監督『スペル』を観てきた。

 「スパイダーマンサム・ライミ」監督最新作と思って観ると茫然としてしまうかもしれませんが、「死霊のはらわたサム・ライミ」監督最新作と思って観るとなるほど!ウェルカムバック!な傑作だと思われます。

 演出や美術、音楽など、人に例えるなら「外見」にあたるだろうところはクレジットのフォントまでもが極めて古典的。やはり古典のホラーって美しくて怖いなあとしみじみしているのも束の間、ローナ・レイヴァー演じるガーナッシュ夫人という言っちゃ悪いが不気味な老婆がアリソン・ローマン演じるクリスティーンを襲うのだけど、そのやり方がもうクレイジー!こわい!気持ち悪い!でもバカバカしい!このシーンで老婆に呪いをかけられてから、物語のテンポは緩みません。変態の(褒め言葉です)サム・ライミは手を変え品を変え、観客を怖がらせ、気味悪がらせ、そしてなぜか笑わせます。コメディの要素を入れるのはライミ監督の特徴ですが、これってなんなのでしょうね、私は「照れ隠し」みたいなものだと思っているのだけど。なぜならそれ以外の大部分はクラシカルな良作の風合いだからです。優等生じゃないもん!という監督の宣言がこのコメディ要素であるように私には感じられます。

 アリソン・ローマンといえばティム・バートン監督の『ビッグ・フィッシュ』での、「可憐」という言葉を擬人化したみたいな可愛い女性のイメージがあったので、最初は「そんなにいじめないでくれ・・」と心が痛かったものの、だんだん壊れちゃって最後はもうヤケクソになってる彼女を見たらもう笑いが止まらなくなったけれど、最後の最後にどんでん返しがあるのはこのテの映画のお約束なわけで・・・

 伏線の内容には少々の無理矢理感があるが、その線の張り方は秀逸で、最後は思わず声をあげてしまいたくなるほどでした。邦題は『スペル』ですが原題は“Drag Me To Hell”、本編が終わると同時にタイトルがバーン!と出てズドン!と腑に落ちます。怖がらせる手法は、段階的なクローズアップや大きな音などの古典的なやり口に、ライミ兄弟の発想力がミックスされて絶妙です。ストーリーも中だるみナシで面白く、ローナ・レイヴァーの怪演は唯一無二で必見です。

Adaptation

アダプテーション DTSエディション [DVD]

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スパイク・ジョーンズ監督『アダプテーション

 多少、いやかなりイライラさせられる作品だったけれども、それはストーリー展開の不器用さに対してではなく、主人公に投影した自分自身への苛立ちであったように思う。
 
 実際の人名が出てくるのでノンフィクションかと思いきや、どうも実在しなそうな人物が現れ、主人公の頭の中の世界がいつのまにかメインの舞台になり、現実と虚構の境界線に関してなんら説明がなされないまま、入れ子構造が開いたり閉じたり。結末も大してまとまらないというか、肩透かしを食らったような気持ちにされて終わってしまうのだ。


 果たして面白かったのかなあ?つまらなくはなかったけど・・・と観終わった後に考える。するとピン!と来る。複雑に見える構造も、実は映画の文法に則ってホンモノとニセモノが見分けられるようになっているから、実は全然複雑な話なんかじゃなかった、ただ脚本家の苦悩とそれを克服するまでのドラマにすぎないのだ!と閃いた、つもりになる。でもすぐ次の瞬間には、その解釈は決定的に間違っているような気がして不安になるのだ。


 つまり、この映画は「終わらない」。結論などないとか、解釈は観た人に委ねられるとはよく言うが、これはそれらとも少し違って、頭の中でどんどん姿を変えていってしまう感じなのだ。私の意志など無視して、映画が勝手に流動してゆく。ネットで調べればこの映画のどの部分がノンフィクションで創作かなどすぐに分かってしまうのだが、試しにそれも疑ってみようとすると容易にできてしまう。この作品について一つ流動的でないことは、私の頭はチャーリー・カウフマンには勝てないということだ。

Sunshine Cleaning

minii2009-09-30


クリスティン・ジェフス監督『サンシャイン・クリーニング


 平日の朝イチの回にしてはお客さん入ってたなあ。主婦や老夫婦ばかりじゃないし、こういう小規模作品に興味を持っている人は地方にもたくさんいるぞ!映画の未来はそこまで暗くないぞ!と思った。多少なりとも、この作品のポジティヴィティが伝染してそう思ったのかもしれないけど。

 
 『リトル・ミス・サンシャイン』は大好きな映画。そのプロデューサーチームが製作したとあって本作も文句なしに良かった。「インディーズ映画」というジャンルが使い物にならなくなって、ファッションと同様に映画も流行なんてあって無いようなものとなってしまった今、この「サンシャイン・シリーズ」をもはや一つのジャンルにしちゃってもいいんじゃないか?と思うぐらい重要な作品だと私は思います。

 偏見と誇張を交えて言えば、昔はアメリカ映画と言ったら舞台はニューヨークばっかりで、アメリカン・ドリームを主題にしたものが多かった。西洋文化に対してコンプレックスを抱く日本人はそれを観てアメリカに憧れていたわけだけど、本作はそれとは違って、まず舞台が地方都市アルバカーキ。シングルマザーで不倫中の姉と無気力なフリーターの妹、その父も変な商売に手を出して失敗したりとなんだか浮ついている家族。摩天楼もアメリカン・ドリームも全然出てこない。たぶん設定が埼玉でもイケる。それはつまり普遍性があるってことです。

 しかし、まとまったお金が必要になった姉が始めるのが犯罪現場の清掃事業というあたり、けっこう目新しいし、美人姉妹がそれをやるっていうギャップが視覚的にも面白いし、単なる普遍的な家族ドラマに陥らないところがいい。そして逆に、その美人×スプラッタの要素に頼りすぎないところはもっといいのです。

 彼らはそれぞれ、自分の人生の中で目を背けてきたことがある。それを見ないまま高校の同級生に会って見返してやろうなんて考えても、結果は・・・。この物語は、変わった商売を始めて成功をつかむサクセス・ストーリーではありません。いろいろ頑張ってるのに全然ツイてなくて、結局ほんの一歩、いや半歩しか先に進めないもどかしさでいっぱいです。なのに苛立ちなどちっとも感じず、観る者はこれまでになく前向きな気持ちになれるはずです。登場人物たちは、悪いものは断ち切り、執着は想い出へと変換し、自分を保護してくれる人から自立し、それぞれが新しい旅立ちを迎えます。いい年したおじいちゃんまでもがです。彼らはこれから先、もっと苦労するかもしれません。でもそれでもいいんじゃない?と思えてしまいます。こういう「家族」の在り方も、大いにアリだと思います。PG-12だけどとっても爽やかな映画です。

ゼラチンシルバーLOVE


繰上和美監督『ゼラチンシルバーLOVE』

 写真家が撮る映画だから映像は綺麗なんだろうなと思って観てみたけど、ストーリーも意外とオーソドックスなサスペンスで観やすかったと思う。
 ただ、一つどうしても引っかかったのが台詞の平坦さというか陳腐さ*1というかで、映像がカッコ良ければその分なおさら「聞いているのがハズカシイ」という「J-POP的」感覚に襲撃されて集中力を削がれてしまった。もしかしたら『リミッツ・オブ・コントロール』の余韻が続いているからかもしれないが、言葉がもっと詩的だったら良かったのになあと思う。

 この作品はとにかく宮沢りえが最高で、すべてのカットにおいて彼女が美しく魅力的だ。テレビ化している日本映画界において、こういうテレビ的カワイさとは異なる女性の美しさをとことん見せてくれる作品は珍しいのではないだろうか。私はこの作品を映画として特別面白い作品ではないと思うけど、「見る」という行為の対象としてはいいものだと思う。 劇中の不思議なダンス?体操?みたいなの、どうやら振付はバレエダンサーの首藤康之氏のようでその辺もちょっとした見どころかと。

*1:【加筆】予定調和的というか、優等生すぎるように私は感じた。あまりにも在るべきところに在るべき言葉が据えられているような。永瀬正敏演じるカメラマンに迫る女子高生がカラオケで歌う曲が椎名林檎の『罪と罰』だっていうところもちょっと「出来すぎ」感が否めない。ただ、テレビ的ミュージックビデオ的「出来てなさすぎ」な映画が多い中でこういう作品が求められているのだとすれば、それは納得せざるをえない。