煙草

 部屋の中が寒い。吐く息が白い。はあっと深くではなく、ふーっと細く息を吐き出してみる。私は指を二本立てて唇に当て、少し離してからもう一度、ふーっと細く吐く。すると冷たい息の筋が、煙草の煙に見えた。久しく煙草は吸っていない。もう一度、同じ仕草。今度は血が冷たくなっていくような、頭がくらっとするような、まさしく煙草を吸ったときと同じ感覚をはっきりと感じた。人間の想像力は凄い!私は新しい禁煙法を発見したと喜んだ。
 しかし残念ながらそれは想像力の産物ではなく、風邪をひいたのでもなく、私の「過去」だったのではないか。私の平坦で肉薄な人生の、平坦で肉薄だからこそ蓄積した、悲しみと怒り。それらが冷たい空気で一塊に凝固して、私の後頭部にべったりと貼り付いて固まってしまったのではないか。観念的でしかないはずのその塊が、私のうなじを冷やし、血液を冷やし、その血が体を巡って頭に流れ込む。どろどろと、今にも滞ってしまいそうに・・・その様子が目で見たかのように分かるのだ。まあ、そう考えることこそ観念的としか言い様が無いのだからもう、ちゃんちゃらおかしいわけだけども。
 『エターナル・サンシャイン*1という映画でケイト・ウィンスレット演じるクレメンタインが何度か言う台詞がすごくいい。“I'm just a fucked-up girl who's lookin' for my own peace of mind.”どれだけ刺激的で有意義な人生を求めようとも、それ以上に求めてやまないのは「心の平安」なのだ。それは当然のことなのに、その求め方も与え方も解らないのは何故なんだろう?
 そう思いながら本物の煙草に火をつけ、一口吸った。

*1:エターナル・サンシャイン [Blu-ray]