川上未映子『乳と卵』

乳と卵

乳と卵

 

 文芸春秋で読みました。至極当然の感想として、すごく面白いし、文章もとても上手だと思いました。若い女性の受賞ということで綿矢りささんや金原ひとみさんなどと比較して(青山七恵さんについてはどうでしょうね?)、その二作よりは純文学らしいよね、まあ納得だよね的なことを言うのは簡単だし、間違ってはないような気もする。だけど間違ってない気がする以上に意味の無いことだとも思っています。
 率直な感想を申し上げると、「細部」は読みごたえがあるのに「全体」としてはなんだか腑に落ちない。読み終えたあとの爽快感がない。これに尽きます。胸を大きくしたい女と、それは男根主義に毒された考えだ、かなんか反論する女のやりとりなんかは特に素晴らしいと思ったし、緑子という少女がノートに書く文章もすごく活き活きとして、私自身もこういう風に考えてたことあったなあと思い出すと結構感情移入してしまい、それだけ惹きこまれるのは作者の優れた素質と技術の為なのだろうと思います。カンタンじゃないのに読ませる文章。
 でも、だからこそ、緑子ちゃんはこれじゃ納得して帰れないだろ。大人は全然判ってないって思ってしまうだろ。結局「乳」も「卵」も何だったのさぁ?という思春期の子供が抱くような苛立ちを覚えてしまったのです。そもそも私は体が精神の「容れもの」であるとは考えていないので、最初からこの作品と私の間にはズレがあるために腑に落ちなかったのかもしれません。
 文体について、テレビで「独特の文体」と評している人がおりました。私は樋口一葉を読んだことがありませんが、川上さんの文体はいたって自然なものだと思います。頭で考えてるときってこういう文体になると思う。常体も敬体もバラバラで、読点で長ーく繋がった文の最後は体言止め。文章を書くときはわざと無理矢理カタチを整えているだけで、本当はみんなこういう風に言葉で思考しているんじゃないでしょうか。だから文学というジャンルではもしかして独特なのかもしれませんけど、それによって読みにくいとかそういうことはちっとも、ありませんでした。
 しかし私は町田康さんの作品が好きなんですが、町田さんといい川上さんといい、関西弁を喋る人の文には固有のリズム、グルーヴ、なんかそんなのがあって羨ましいです。やはり何においてもテンポというのは重視されるべきものだと思います。
 で、結局この作品、良いの?どうなの?ともし誰かに尋ねられるとしたら、私の答えは「友だち以上恋人未満」という具合でしょうか・・・