How does it feel?

 「泊まっていってください。」 という懇願を振り切って帰宅すると、母が『風に吹かれて』を聴きながら夕食の仕度をしていた。私は驚き、一体どういう訳かと台所の隅を見やると、そこには災害時用の、懐中電灯とラジオが一体化したものがあり、『風に吹かれて』はそこから聞こえていたのだった。
 番組はボブ・ディラン特集で、彼の曲ばかりが流れていた。彼が偉大なるミュージシャンであることは知っているけれど、私は別に好きでも嫌いでも無いのだった。しかしいつもより心に沁みて感じたのは、「ラジオ」と「ボブ・ディラン」の相性が良いせいだろうか。いや、それだけではない。
 家と会社の往復、すらしない私の日常は漫然として、誰かに会うことも、刺激されることもない。だからこそたまに誰かと時間を過ごすことがあれば、私の感受性は必要以上に覚醒させられるような気がする。 それは好きな相手であれ嫌いな相手であれ起こることだが、好きな人であればあるほど私の感度は上昇するので、その時は、ボブ・ディランの良さをいつもより敏感に感じ取ってしまったのだ。
 ということは。
 私は独りでは、感じることができないのだろうか。 そう思ったとき、4曲目のボブ・ディランが流れた。それは『ライク・ア・ローリング・ストーン』であった。―すべてを失ったときにはどんな気がする?― 私は泣きたいような笑いたいような、叫び出したいような胸のざわつきを母に隠すべく、緑茶を淹れた。