栽培

 高速道路のジャンクション。北に向かう道路に入るとき、左に光の畑が見えた。その場所は道路からだいぶ離れており、木が視界を遮るので車の中から見えるのは一瞬だ。周りには何もなく(もしかしたら田畑なのかもしれないが、暗くていつもよく見えない)、そこだけが、強い光を発している。
 はじめはイルミネーションだと思った。蝋燭の炎のような、あたたかくて質素な色のライトを、たくさん並べているのだと思った。それは何かの催しかもしれないし、工事や何か作業の為の明かりかもしれないし、とにかく、ちっとも気にならなかったのである。しかしいつまで経っても、いつそこを通っても、ライトは点いているのだ。ふむ。街の百貨店でさえ、ハロウィンと正月の間をすべてクリスマス仕様にしたとしても、せいぜい2ヶ月弱である。こんな山に囲まれたような田舎で、何ヶ月もイルミネーションをする意義があるだろうか。いや、無い。工事や作業という説も、事実ではないように思われる。というのも、そのライトは遠くから見る限り、校庭に並ぶ小学生のようにたくさんの数で、整然としているのである。その周りで工事・作業するのにその明かりの配置は非効率的であるし、その列の中で工事・作業するには明るすぎるはずである。常識の範囲ではどう考えても、その光の存在は不自然であった。
 そう気づいた頃、「光の畑」は文字通りの畑のように、ビニールシートを被せられた。ビニールを通して見える光の強さから察するに、光量は以前よりも増しているようだった。
 つまり、それはやはり畑だったのである。誰かが「光」を栽培しているのだ。この田舎で。だってそれしかない。畑の作物のように整然と並び、ビニールハウスの中で、確実に育って(光量が増して)いるのだから。第一現代社会は常に光を必要としているからね。発電の一つの方法なんでしょう。やってるのは宇宙人だか未来人だか知らないけどさ。
 すっかり合点のいった私はいつも、そこを通るたびに、光の育ち具合を眺めることにしている。