哲学

 絶望する前に、車に乗り込んだ。台風の後にしては天気が良くなかった。ひたすら真っ直ぐ走ろうと思ったのは、哀しみが増してきたからだ。振り切るのに必要なのは目的地ではなく、単純に距離と速度のはずだった。
 しかしどこまで行ってもこの、どうしようもない気持ちはどうしようもなくて、私はその痛みから逃れる為に電話を取ろうとした、瞬間、電話が鳴った。主はまさしく私が「通達」を出そうとした相手であった。私はすっかり疑り深くなっていたので、その人からのメールの内容を理解しても尚、それが治癒となるか、それとも一層傷を深めるものとなるか判らなかった。
 判らないまま私は引き返すことに決め、脇道に入った。一度も通ったことの無い道であった。おそらく。来たことを忘れてしまっただけかもしれないけれど。とにかく、その道に入った途端みるみる空が明るくなり、くっきりと聳える山と、つくりものみたいな青空とそこに浮かぶ純白の雲を見た。 
 そのとき世界が、私に味方し始めたように感じた。

 だが私は既に、世界とは自分であることを知っていた。前の晩に、ある本を読んでいたから。それはずっと避けてきたものだったのに、そのタイミングで向き合うことを決心したのは今日に備えてのことだったと、私はすぐに理解できた。あるいは否、既に知っていたのかもしれない。
 世界とは、私の中の観念なのだ。だから世界が私を良くしようとして偶然を重ねるのは、単なる私の、自然治癒力。そう気づいたとき私はすっかり道に迷っていたが、困るどころか緑一色の世界を、愉しんですらいた。
 何も憂うことはない。私が意図すれば(と同じ意味で、何かがそう仕向けるならば)、然るべき時に彼のところへ辿り着けるから。