Living Dead in OEDO

minii2009-12-15


 歌舞伎座さよなら公演 十二月大歌舞伎 昼の部最後の幕『大江戸りびんぐでっど』を一幕見してきた。

 初めての一幕見席。1時間40分くらい?の一幕芝居を観るのに¥1200は良心的すぎ。歌舞伎のチケットはたしかに高価だけど、その分お金がかかってるからあれは適正価格です。それをこの価格で観られるのだから(そのかわり舞台は遠いし花道はほとんど見えないけど)、映画館は値下げするべきじゃないかしら、と思わざるをえません。

 さて、『東京ゾンビ』と歌ったのはブルーハーツだったか。内容は全然関係ないけどタイトルで思い出した。
 では、『大江戸りびんぐでっど』は歌舞伎だったか。むずかしいところですね。あんなもん歌舞伎じゃねえ!という人があれば、歌舞伎なんてそもそも反骨精神の芸術なんだからあれはあれでいいのではないか、という人もあるでしょう。私はどちらも正しいと思います。どういうわけか、獅童さんだけは歌舞伎やってるように見えなかったのですが・・・あの場面だけ現代劇っぽすぎて浮いてるように感じてしまいました。

 それでなくとも前半はかなりクドカン節の洪水のような台詞の応酬が多かったので、年配のお客様方は大丈夫なんだろうかと勝手に心配しましたが、だいぶウケているようでした。皆さん、しっかり下ネタで笑ってらっしゃる。大音量の音楽(後から知りました、向井秀徳が担当したそうです)にスリラーをもろにパロったダンス、パロディならE.Tだのヘレン・ケラーだのやりたい放題だし、「人間とは何か」を問うことそのものを冗談にしてしまう感じなどまるでサブカル演劇で、面白いんだけどなんか不安・・・しかし、お葉の死んだ主人・新吉の登場から、空気が一変します。演じるのは勘三郎さんです。

 勘三郎さんの登場によって、舞台が一気に歌舞伎に「なった」と言っても過言ではないのではないか、いやさすがにそれは言い過ぎか迷うところですが、そこから物語がぐんとシリアスになることは本当です。歌舞伎のどの演目を観ても思うのは、登場人物が皆、信念と自尊心を持っており、そのためなら死を厭わない強さがあるということです。この作品においても後半、それぞれのキャラクターのプライドが見えてきて、それがとても悲しくて美しいのです。自分がゾンビになっても、または心を決めた相手がゾンビになっても、そのプライドは揺るぎません。そこでカッコイイなあと思い、歌舞伎観に来てるなあと実感するのです。

 多くの歌舞伎の古典が時事ネタであったように、この作品も派遣労働者を題材にしています。そこでゾンビ=ハケンという設定に気分を害した方もたくさんおられるのだそうです。たしかにそれは健全な反応なのかもしれませんが、では果たして侮蔑的な意図があるのかどうか、その反応の後に考えるまでは席を立つべきではないと思います。少なくとも私は派遣労働者に対する蔑視を見出せなかったし、誤解される危険を伴ってまで表現する潔さと、時事問題を描きながら「自分は何をもって生きているといえるのか」という普遍的な哲学を描き、かつこんな軽快なエンターテインメントにしてしまう手法は、見事だと言うほかありません。

 イメージと違ってハジケてみせた勘太郎さんと、ダメな男だが憎めないというまさにハマリ役で主演を張った染五郎さんが特に素晴らしく、出番こそ少ないものの勘三郎さんの存在感は圧倒的にスターのそれでした。なにはともあれ、楽しい作品でした。