The Limits Of Control





ジム・ジャームッシュ監督『リミッツ・オブ・コントロール』を観てきた@シネマライズ


 劇場に入って客が男性ばかりだったら、その映画はとんでもなくくだらないか、逆にすこぶる素晴らしいかのどちらかだと思う。理由は知らない。今までの経験でそうだったというだけだ。そして本作『リミッツ・オブ・コントロール』は、圧倒的にその後者であった。


 余分な装飾を排除した脚本と演出、外国語間のミスコミュニケーション、意味のない会話や時間、アウトサイダー、差異を含んだ反復のロードムーヴィー・・・などの「ジム・ジャームッシュ的」要素をつめこんだこの作品を、ジャームッシュの真骨頂あるいは集大成と言ってしまうことは容易だ。しかしどうもそれでは足りないし、そんな便利な言葉は、この映画には似合わないだろう。主人公は銃も、携帯電話すらも使わないのだから。


 劇中に、音楽、映画、美術、科学の話をする者や裸の女が登場することからも感じられるのは、本作が純粋な映画でありながら、映画の範疇を超えてしまっているということだ。 ジャームッシュは今回、これまでの作品の集大成であると同時に、一歩別の次元へと踏み出したように思われる。たぶん本人はそんなことは考えていないのだろうけれど。


 登場人物は皆、名前を持たない。主人公は寡黙で、それ以外の人々が話す内容も抽象的だ。そしてその言葉たちは、量こそ少ないが、クリストファー・ドイルの撮る美しい映像の中で、重みと奥行きを持つ。 つまり、この映画は「詩」なのではないか。夢の中のさすらいで、世界一静かな犯罪映画で、そして普遍的な詩なのではないだろうか。

 本編を観終えて、エンドロールの最後の言葉にゾクっとして、作品のロケがジョー・ストラマーの遺言だったと知ってゾクっとして、今はもう一度観たいと思って身震いしている。 こんな単調で退屈な映画つまらないと思う人は大勢いるだろうが、私はどうしたって好きなのだ。だって無茶苦茶カッコイイのだ。