エミリー・ウングワレー展@国立新美術館

minii2008-07-18


 コトバという輩はちっとも信用できないので、彼女の作品について思うことを、コトバで表現しようとするのは無謀だと思う。なのによりによって、『アボリジニが生んだ天才画家 エミリー・ウングワレー展』を観始めてすぐ、コトバの中でも最も信用できない類の一人である、“オリジナル”という奴が私の頭の中に発現し、小躍りを始めた。私は「オリジナルなんて存在するのかな?」と問うてみたけれど、そいつは私の内の言葉であるにもかかわらず私を無視したばかりか、なおかつ一層激しく踊り始めたのである。
 おかげで頭がクラクラした。揺れた。或いは、彼女の絵が持つ得体の知れない―それはカンヴァスに載せられた絵具の厚みでもなく、色の組み合わせがもたらす一般的な視覚効果とも異なる―「奥行き」に目がヤラレたからかもしれない。いずれにせよ、作品を凝視することは容易でなく、しっかり立っていないと、絵に飲み込まれそうな気がした。

 観終わってポール・ボキューズに上がり、シャンパンを注いでもらう間に、建物の外をヘリコプターが目線の高さにやってきて、ゆっくり旋回し、着地した。その時になって初めて、自分が普通の水玉ではない、同系色の濃淡で構成された点描画みたいな柄のシャツを着ていることに気づいた。そんなつもりはなかった。こわい偶然だと思った。ほんとうに偶然であればまだマシだと感じるくらいに。たとえそれが偶然であれ必然であれ単なる私の意識過剰であれ、そんな風に感じさせたのは間違いなく、彼女の絵であった。