Quentin Tarantino's Death Proof
<前置き>
1. 私は監督としてのタランティーノが好きになれません。ファンの方は不快な思いをされるかも。
2. ネタバレがあります。
- 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
- 発売日: 2008/02/22
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だらだらと続くガールズトークは冗長、物語の質に対して120分の尺は長く感じた。アメリカでの2本立てヴァージョン(“Grindhouse”)では90分に収められていたらしいので、そちらの方がたぶん良いんじゃないかな。テキサスの女のコたちのキレイな脚や顔を吹っ飛ばすシーンはどうしてもやりたかっただろうから、だったらラップダンスの件はいらないんじゃないかとか、観ている最中に考えてしまった。私はまたしても、タランティーノ監督が実現したいアイデアの量の膨大さに、置いて行かれた観客だったわけだ。その時点では。
しかし、スタントウーマン、ゾーイ・ベルの出現によって状況は変わった。オープニングクレジットにも名前が大きく出ていたから、彼女がこの作品のクライマックスをつくるという心積もりはあったが、実際あのスタントはまさに手に汗握るもので、私の神経はテレビ画面から逃げることができなくなってしまった。
カースタントというのは普通、人物が主体にならない(車がクラッシュするなど、車が主体になる場面)か、多くは俳優のボディダブルとして見るものであり、如何なる場合でもスタントマンそのものを見ることはできない。スタントマンが主役の映画なら、スタントマン役の俳優のボディダブルがいるように。しかしここでは、スタントウーマンのゾーイ・ベルをスタントウーマンのゾーイ・ベル役として、まさにその人を場面の中心として見ることができる。だから普段見られないものが見れているという充足感があるし、彼女の才能と身体能力には敬意と共に鑑賞料を支払う価値があると、私は思った。
つまり、“映画”としてどうかというとやはり私には微妙なところなのだけども、見て良かったと思っているのは確か。最後、エイプリル・マーチの“Chick Habit”が流れて、ロザリオ・ドーソン*1の健康美な脚がカート・ラッセル演じる変態殺人鬼の顔に振り落とされたときは、悔しいけれどヤッタ!と思ってしまった。