Lars and the Real Girl

minii2009-02-09


クレイグ・ギレスピー監督『ラースと、その彼女』を観てきた@ヒューマントラストシネマ文化村通り


 田舎町での一冬の光景が淡々と進むから、106分でもちょっと長尺に感じたけれども、これでいいと思えた。観客も町の人たちと同じようにラースを見守り、ビアンカに接するつもりで観られるような気がしたから。

 特にアメリカ映画には、オタクでも変態でもいいじゃん!精神病なんて全員そうじゃん!みたいな「見せかけの」反差別主義、博愛主義を説くものが結構あるように思うのですが、この作品は「見せかけ」ではなくて本気だと思う。ラースにはトラウマというか心の闇みたいなのがあって、それを克服するっていう話なのだけど、その点については多くを語らない。自分勝手ではいけない、周りの人に優しくしなさい、という単純なメッセージが深く刻まれているけれど、それも直接的な方法では語られない。なのに、登場人物一人ひとりの仕草や言葉から、それらはしっかりと伝わってくるのです。
 映画の良さってやはりそういう婉曲的な表現が自由にできるところだと思うし、人間同士のコミュニケーションも元来はそうだったんじゃないかなあ。親の背中を見て育つとか。目は口ほどに物を言うとか。最近はなんでも直接的になりすぎてるし、センセーショナルでないと見向きもされなくなって、そういうのにみんな嫌気がさしてきてるから、この映画がすごく評価されたのはよく分かります。


 物語が進むにつれてだんだん、ラースがカッコよく見えて来るのです。服装や髪形が変わるわけでもないのに、だんだん大人の男になっていく感じが見ていて分かる。それは脚本や演出の効果だと思うし、なにより演じたライアン・ゴズリングが素晴らしいのでしょう。
 「大人になる」ってどういうことか知りたい人は必ず観てください。みんながお互いにこの町の人たちのように接することができたら、無茶苦茶ハッピーな世界になると思う。心底そう思います。