春琴抄

春琴抄 (新潮文庫)

春琴抄 (新潮文庫)

谷崎潤一郎著『春琴抄

 恋というと、ドキドキしてワクワクして狂おしい感情を思い浮かべますが、それはそれとして、しかし、この本の主人公・佐助の静謐ながら情熱的で頑固とすら言える恋慕の情の前には、ただのお遊びに見えてしまうかもしれません。どちらが正しいのかはさて置いて。
 私たちは自分の主観から逃れることはできません。主観を通して見た相手の「イメージ」に恋をして、そのイメージをどんどん膨らませてしまいます。だからそのイメージが相手の「実体」とかけ離れていると気づいてしまった時、恋が冷めてしまうのではないでしょうか。もちろん、冷めない工夫はいくらでもあるでしょうが、しかしそうして変化した感情や関係は、当初のそれとは確実に異なるはずです。

 ところが佐助は、10代の少年期から、80代で寿命を全うするまでずっと、同じ気持ちで春琴を愛し続けました。何故そんなことができたか。常人から見ればとてつもなく大きな代償を払ったからです。物語の最後、語り手は「読者諸賢は首肯せらるるや否や」と結んでいますが、確かに彼のしたことが正しいことだったのか、善いことだったのかは分かりません。それでも佐助が、「此の上もなく仕合せ」だと言ったのは、真実だったのだと思います。

 谷崎潤一郎の作品は他に2、3しか読んだことがありませんが、非常に触覚的・嗅覚的な表現が豊かだという印象があります。それはたとえば女性の肌や着物の質感であったり、体臭であったり、そういう「部分」からぼんやりと想起される、匂い立つようなエロティシズムについてです。本作においては、盲目であることが一つの主題にもなっているため、そのような彼の表現方法が素晴らしく発揮されていると思いました。人間の心情が表わされていないというような批判もあったとかなんとか解説にあるようですが(未読)、こころとは、目に見える形には表せないのが本当なのではないでしょうか。

 これを読むと「恋は盲目」という言葉が痛く美しく感じられます。マゾヒズム的な観点であるとか、いろんな読み方ができそうですし、一生ものの読み物になると思います。意外と男性の方が心に沁みるかもしれません。