七月大歌舞伎

 千秋楽イヴの日曜。初めての歌舞伎座。ギリギリ取れた当日券は補助席同然の狭い席。それでもまだ全然マシだと思えるのは、一幕見席の行列の長さのせいもある。本当に老若男女、外国人観光客も大勢、炎天下に並んでいた。映画が¥1800だから、歌舞伎の幕見料金(¥1000前後)は確かに安いよね。
 夜の部の演目は『夏祭浪花鑑』と泉鏡花の『天守物語』。ざっくり言って前者が男、後者が女という感じでまったく異なる作品を同時に観られるのも歌舞伎の醍醐味。市川海老蔵が前者では任侠の男、後者では凛々しく爽やかな若い鷹匠と、やはりまったく異なる役を演じて魅力を大炸裂させており、テレビで見る彼の、軟派で子供っぽい印象はどこへやら、華のある雰囲気、顔や肢体の美しい造形、なめらかな声や見得を切るときの鋭い筋肉の動きなど、あーこの人は歌舞伎で主役をやるために生まれてきたのだなあと納得してしまった。遠くから観ているのに、間近に迫ってくるようなパワーがあった気がする。 クライマックスの舅殺しのシーンは圧巻。ゆっくりした動きと13回もの見得を以て殺人の残虐さと共存する静かさや狂気的な美しさを表現したかと思えば、本物の水を被って返り血を流す団七(海老蔵)の体の震えが殺人の恐ろしさをリアルにしてしまう。
 私にとってはそのように海老蔵を「発見した」舞台だったのだけど、でもやっぱり勘太郎が素晴らしかったことを記さずにはおれない。
 彼が演じたのは大きくはないけど、すごく見せ場のある「お辰」という役。観客から屋号を叫ばれる数、主役に次いで多かったのは勘太郎に対する中村屋だった。
 自分が受けた頼まれごとは自分で遂行すると、決めたら一歩も引かないさすが任侠の妻。そのためにお辰はなんと、自ら美しい顔に傷をつける。その静かな動作に私の体は痺れて鳥肌が立ち、目が潤んだ。カッコイイ、けど悲しい。夫が惚れたのはあたしの顔じゃなくてここ(心)だから全然平気と笑って颯爽と旅立つけれど、いくら強い精神を持っているとはいえ、既婚とはいえ、若い女が自分の顔に傷をつけるとはどういう心持ちがするものか・・・その複雑さを勘太郎は見事に体現していたように思う。姿も声もどんどんお父上に似てくるところもまた、魅力で。